このブログでは、イントラリンク創立30年を記念し、弊社創設者及び会長であるジェームズ・ローソンが過去30年の思い出と経験を写真とともに振り返ります。
イントラリンクの始まり
30年前、東アジア圏内の経済は大きく異なるものでした。 世界第2位の経済規模を誇る日本はバブル崩壊を迎え、対照的に中国は、勢いを増しながら経済成長が本格化していました。また造船や北朝鮮問題で知られていた韓国は、まだその波に乗り切れず、ビジネスリーダーの視界には入っていませんでした。 そんな1990年頃、この東アジアの行方を予測することは非常に困難でした。そして同地域におけるビジネスで生計を立てるなど、非常に勇敢な、逆に愚かな考えと捉えられてもおかしくありませんでした。 それにも関わらず、私はバブル崩壊直前の1990年に日本に焦点を当てたビジネスをはじめました。さらにSARS流行直前の2002年に中国に進出、韓国では2回目の試みでやっと拠点設立に成功、米国にも世界金融危機の半年前に当たる2007年に進出しました。 これらの経験から私たちは多くのことを学び、すべての市場において、自分たちが適切な場所に展開していると確信し、適切な時期にその利点を十分に活用することができました。
No business plan
当時、私はなんのビジネスプランも持ち合わせていませんでした。42歳で3人の子供、減り続ける貯金と住宅ローンを抱え、仕事もない時、私は子供のホッケーの試合でPhilip Robinson に出会いました。 彼の経営するヘルスケア製造受託事業が英国大手スーパーマケットに圧迫される中、私は国内の薬局で彼のブランドとして販売することができる日本製の薬品10点を見つけてくると£1000を賭けました。 日本での就労経験があり、日本語も少し話すことができた私にとって、これはそこまで無謀なアイデアではありませんでした。 日本から戻ると、Robinsonは私が提案した製品のうち、磁気治療装置と温冷湿布の2つを採用しました。この満足のいく結果が、イントラリンクビジネスのすべての始まりでした!
幅広い英国企業との経験とゲームチェンジャー
次の4年間、多岐にわたる英国企業のビジネスに携わりました。具体的には、Transport Development Group(在英日系製造企業のロジスティクス事業確保)、Amec(マンチェスター空港近くの不動産開発のための日系資本獲得、British Technology Group(物理科学特許ポートフォリオのライセンス確保)、London Contemporary Art(日本における同社アーティストの宣伝)、Links of London(日系ディストリビューター及びフランチャイズパートナー獲得)などをサポートしました。 非常にエキサイティングなビジネスでしたが、年7回に及ぶ日本への出張、友人が所有する建物の寝室兼オフィスで、2つのタイムゾーンで働くのは容易ではありませんでした。また退職済みの方が日本で3名、パートタイムでサポートしてくれていましたが、ビジネスは脆弱でした。どのように展開・拡大できるか先が見えず、倒産する絵を描くことも簡単でした。 しかし、私は日本が大好きでした。そして、無駄に長い調査結果でなく、『真実』を記載した1ページのレポートに潜在顧客はポジティブに反応してくれました。 またゲームチェンジャーとなるクライアントにも巡り会うことができました。そのうちの1社であるQueensgate Instrumentsは、代理店を通じた輸出・販売が100万ポンドで停滞していることに不満を感じていたため、顧客に直接販売するために日本に現地営業拠点設立を希望していました。私たちは現地子会社設立を実現し、一時的に日本におけるGeneral Managerを務めました。その後10年間の間に同社のスピンアウト3社と、元の取締役の1人が経営する別の2社の代理として活動しました。
Gregory Sutchとの出会い
ロンドンでグレッグ・サッチ(現CEO)に会ったのはこの頃でした。26歳だった彼は、アジアでの在住経験と、地理学と日本語の学位を持っていました。またスマートで、日本に対するパッションを持つ彼は、当時のJALにおける仕事を楽しんでいませんでした。さらに20年前、彼の父親に私が東京で会ったことがあるということも助けになりました! グレッグは3人目の正社員となり、東京に異動しました。
私も定期的に東京を訪れ、安いホテルに泊まり、オフィスに自転車で通い、顧客面談には徒歩で向かい、昼食を抜かし、、、コストを抑えるためにできる限りのことをしました。しかし、日本での事業に関して心配することはありませんでした。 グレッグと私は毎晩、日本のクライアントや知り合いとビールを飲んで過ごしました。これにより、昼間の会議では何も語ろうとしない顧客が考えていることを理解しやすいリラックスした雰囲気を作り出すとともに、強力な関係を築くことができました。
その結果、あらゆるレベルにおいて日本企業とネットワークとコネクションを構築し、そして日本特有の稟議システムが、決断をする人材が各事業部の部長であることをすぐに理解することができました。 日本語を話す外国人としてこのレベルの独自の道を築き上げる能力は、欧米のクライアントにとって非常に価値のある洞察と影響力を与えることができました。 そんな中ある晩遅くのブレインストーミングセッションにおいて、グレッグは私たちがクライアントの代理人(surrogate)のように感じると述べました。これはひらめきの瞬間でした。つまり日本は欧米企業が物理的なプレゼンスを通じて運命を管理するべき重要な市場であるものの、独自にそのビジネスを展開するリスクとコストも非常に顕著なものであるということを示していました。 私たちはクライアントに代わって動き、パートナーシップ構築や取引確保を行い、さらにビジネスが独立可能な商業的立場に立つことができた際にその事業を引き渡す準備ができている暫定的な物理的プレゼンスを効果的に提供しました。 この『Surrogate Sales Programme』の事業開発は、極めて重要な瞬間でした。膨大なマーケットポテンシャルと並外れたハイリスク/ハイリターンの環境において、私たちは低リスクの代理履行サービスを提供しました。これは現在もイントラリンクのビジネスの要となっています。
中国、韓国、そして米国への進出
私は上海で生まれた後、両親とともに1949年に前進する共産主義勢力から逃れたこともあり、当然のごとく中国は弊社のレーダーに入っていませんでした。しかし、3iが買収を考えていた中国企業の非常勤取締役に適切な中国人エグゼキュティブ特定を目的としたブロジェクトを獲得した2002年、その機会が訪れました。 クライアントもおらず、たった1人のスタッフだけのオフィスを住宅フラットの一角に設置しました。透明性と誠実さを持った代理販売モデルは欧米企業の関心を引きつけたものの、中国のビジネスプロトコルは日本とはまったく異なることがすぐに明らかになりました。 中国は、誰もが個人的及び企業的成功達成に急ぐ『the Wild East』でした。私たちのような中国語を操る外国人は好奇心をそそる存在であったため、彼らが私たちを「利用」することができると判断する限り、企業へのアクセスを得ることができました。 同国では10年間、大きな進歩を遂げるのに苦労しましたが、私たちは懸命に働き、土木工学、風力タービン、砂糖栽培、鳥インフル用の殺生物剤、川岸強化用のジオテキスタイル分野、温室用生分解性プラスチックなどさまざまな分野の事業に携わってきました。
次は、今や世界10位の経済規模を誇る韓国に目を向けました。その経済は船舶、自動車、電子機器の輸出に大きく依存していますが、COVID-19への対応が示しているように、5,200万人もが技術に精通し、環境に配慮し、5Gを活用しています。 韓国での事業設立には2回の試みを要しましたが、15人以上のチームに成長し、最近では水素燃料電池の分野で主要なライセンス契約の締結など多くの成功を収めてきました。
そして2007年後半、北米市場の拡大が可能かどうか確認するためにAlan Mockridgeとともに現地を訪れました。当時、米国企業5社と取引があり、そのうちDivx Networksは日本における弊社のサポートにより、IPOで1億4500万ドルを調達するなど大きな信頼を受けていました。 しかし最初の事業任命の日、日本で代理を務めていた企業になんの予告もなく契約を打ち切られ、1.5万ドルの不良債権を抱えることになりました。北米における最良のスタートとはいきませんでしたが、Alanは2008年に西海岸に異動しました。
振り返ってみると、、、
私たちは人材とシステムに多額の投資をしてきましたが、それは結果的に、大きなリターンをもたらしてきました。基盤がしっかりしているからこそ、代理モデルも頑強であり、さらに欧米企業がサポートなしでは参入困難なアジア市場は依然として実質的と言えます。 あらゆる時期において、イントラリンクへの多大な貢献を称えるべき人がたくさんいます。これは絶対的に「人」が重要な役割を果たすビジネスであり、私たちは強いチームスピリットを生み出すために一生懸命働いてきました。 私たちは常に流暢に言語を操理、自信に溢れた人材を探してきました。つまり、現地の言語で営業電話をかけることを恐れず、強いソーシャルスキルとユーモアを持った人です。よく冗談で、単にメンバーとチームビルディングのために行った週末スキー旅行が楽しかったから、スキーができる人を雇いたいなどと言ったものでした。
将来に向けて
多くの方々にとってそうであるように、私たちにとってもCOVID-19の影響は挑戦となりました。収益と利益はわずかに落ち込む可能性もありますが、クライアントと私たちはアジアの急速な景気回復の恩恵をすでに感じています。つまり、私たちが展開する地域が、欧米企業がビジネスを行うのに最適な、世界最高の場所となっているのです。 その避けられない経済的な落ち込みは別として、この先にもいつも通り、米中貿易の行き詰まり、米国大統領交代の影響、北朝鮮からの継続的な脅威などたくさんの「未知」が待ち受けています。 しかし、その多大な東アジアの経済的重要性と今後の成長に関して、私の心の中では疑いの余地がありません。そして、イントラリンクも弊社メンバー、クライアントとともに成長し続けることでしょう。
筆者について
James Lawson(創設者)
上海で生まれ、日本で育った後、ハーバード・ビジネス・スクールで学ぶ。ジャーディン・マセソンの上級副社長として香港で6年、日本で8年間勤務し、英国上場企業の部門MDとして、製造からマーケティング、国際調達まで幅広く携わる。1990年のイントラリンク設立以降、アジアの4大経済圏(中国、日本、韓国、台湾)で、イントラリンクをアジア事業開発及びイノベーションの専門家集団に育て上げた。また英国政府の貿易アドバイザーを10年以上務めた経験も持つ。