アジアの金融ハブとして発展してきたシンガポールですが、2025年11月に開催された東南アジア最大級のイノベーションイベント「SWITCH(Singapore Week of Innovation and Technology)」でも強調された通り(詳細は「SWITCH 2025 参加レポート」を参照)、近年は「金融ハブからディープテック・ハブへ」という国家方針のもと、研究開発と起業支援、さらに大学・研究機関との連携の投資を大幅に強化し、世界でも注目されるディープテック・エコシステムへと進化しています。
またシンガポール企業は、国内市場が小さいことを理由にグローバル思考を持つケースが多く、多国籍企業との協業に積極的である中、特に地政学的にも距離が近く、安定した市場とグローバルプレゼンスを持つ大手企業が存在する日本との連携を強く望むこともよく知られた事実で、技術レベルと連携需要が高いシンガポールは、海外展開を重視する日本企業にとってシナジーが強く、外せない市場と言えるでしょう。
本稿では、日本企業が今シンガポールのディープテックから得られるメリットと、現地エコシステムに参入する際のポイントを、NTU(南洋理工大学)起業支援部門長を務めていたDavid Toh Teng Peow氏の洞察を交えながら、弊社シンガポール拠点の細井武蔵が解説します。
一連化した国家主導支援が導くディープテック戦略拠点性
シンガポールは30年以上にわたり、国家戦略としてテクノロジー領域の育成と、R&D投資、政策支援、大学・研究機関の強化を一体的に進めてきた結果、現在では4,500社以上のスタートアップと400以上のVCが集まるアジア有数のテックハブへと発展しています。中でもディープテックは、世界的課題の解決につながる重要分野として、政府の長期的なコミットメントが際立っています。
特にTemasek(政府系投資会社)やGIC(政府投資公社)などの政府系研究機関・投資ファンドによる資金面を超えたメンタリングやネットワーク提供を通じた支援、さらに大学発の技術を迅速に社会実装へとつなげるためのインフラが整備されたNTUやA*STAR(科学技術研究庁)をはじめとする研究機関が連携し、政府・研究機関・投資家が一体となってディープテックを育てるエコシステムを形成しています。
このように国全体が一つの研究・実証フィールドとして機能するシンガポールは、スタートアップや研究機関との実践的な協業を通じ、アイデア段階の技術を迅速に事業化する機会をもたらすなど、日本企業が新技術の実証や海外展開を迅速に進めるうえで、戦略的な拠点となり得ます。
シンガポール市場参入で得られる5つのメリット
それでは、なぜ今日本企業がシンガポールのディープテック・エコシステムに活用すべきでしょうか。シンガポールのイノベーション・シーンに長年従事してきたToh Teng Peow氏は、シンガポールを「グローバル市場へのゲートウェイ」と位置付け、次のようにその魅力を説明しています。
「シンガポールにはすでに、世界中から人やアイデアが集まるグローバルなネットワークやイノベーション拠点があり、海外展開に向けて協力できる企業も数多く集まっています。このため、シンガポールのエコシステムに参入することで東南アジアだけでなく、欧州、英国、カナダなどへの展開を見据えたGo-to-Market戦略が立てやすくなります。さらに、シンガポールには税制優遇を受けられる特定のルート(コリドー)があり、たとえば近隣諸国で製造した製品をシンガポール拠点経由で輸出することで、シンガポールの高い国際的信用とネットワークを活かし、他地域での輸入承認が迅速になる可能性が高くなります。」
この見解を踏まえ、日本企業がシンガポールのディープテック・エコシステムに参入するメリットは、以下のポイントに整理できます。
- 政府主導の充実した資金支援と共創インフラ
シンガポールでは、SG Innovate(政府支援のディープテックVCファンド)などを通じた政府の多層的な支援が提供されており、日本企業は初期リスクを抑えつつ、実証から市場展開まで一気通貫で進めやすくなります。 - 世界水準の研究機関を通じた技術アクセス
NTU、NUS、A*STARには企業連携ラボや産学プログラムが整備されており、企業は量子、AI、材料、ロボティクスなどの先端領域に迅速にアクセスできます。国内だけでは得にくい知見を取り込み、事業化の加速が可能に。 - 東南アジアとグローバル市場を見据えたハブとしての活用
シンガポールは東南アジアやG7市場へのゲートウェイとして活用可能で、知財保護やFTA、税制優遇を活かし、国際展開やパートナー開拓を効率的に進めることができる市場です。 - 透明性・信頼性の高い規制環境
知財保護や契約執行、規制の透明性が高く、ディープテック領域での実証や導入がスムーズです。医療・クリーンテック・モビリティなど規制依存度の高い分野でも、早期PoCや導入に踏み込みやすい環境です。 - スタートアップとの協業による新規事業機会
グローバル志向のスタートアップが多数集積しており、共同開発やユーザー検証、海外展開支援を通じて協業することで、既存事業の高度化や新規事業創出につなげられます。
確実な成果を出すための、シンガポール参入ガイド
日本企業にとって、参入メリットが大きいシンガポールのディープテック・エコシステムですが、実際の事業機会へとつなげるためには、いくつかのポイントを押さえたアプローチが欠かせません。
まず重要となるのは、自社がどこから関わるべきかを明確にすることです。研究機関と連携して技術探索から始めるのか、それとも大学発スタートアップのように既に実装段階に近いプレーヤーと組むのかによって、必要なリソースも展望も変わってきます。シンガポールでは研究から実証までが一体的に進むため、入口の選択がその後の展開スピードに大きく影響します。
次に欠かせないのが、現地での情報収集の体制づくりです。技術動向は流動的で、シンガポールのスタートアップも研究機関も常に新しいプロジェクトを生み出しています。こうした変化をリアルタイムで捉えるには、単に出張ベースで情報を得るだけでは不十分であり、現地のエコシステムに常時アクセスできるルートを確保することが不可欠です。実際、現地VCや大学、政府系支援機関は、スタートアップの成長段階や研究の進捗に関する最も鮮度の高い情報を持っています。これらのネットワークをどう使えるかが、日本企業の動きの速さを大きく左右します。
そして最後に重要なのが、シンガポールのエコシステムを継続的に追い続ける姿勢です。ディープテックの分野では、最初に接した時点では可能性が見えにくい技術が、半年後には事業化に向けて大きく進展することが珍しくありません。初期段階で価値が見えないと判断して手を引くと、次に優れた機会が来たときには競合に先を越されることもあります。むしろ欧米企業が成功しているのは、こうした継続的な関与を通じて、技術が飛躍する瞬間を逃さず掴み取っているからです。
シンガポールのスタートアップは、日本側の丁寧な検証プロセスや品質基準への姿勢を高く評価しています。また彼らにとって、日本市場での導入実績は国際的な信用の証明となり、事業展開を後押しすることから、日本企業との連携には強い欲を持っています。このように、シンガポール企業と日本企業が互いの強みを生かし合う関係こそが、協業の最大の価値でもあります。
まとめ
シンガポールのディープテック・エコシステムは、産学官が連携し、研究成果の実証から国際展開まで迅速に進められる体制が整っています。日本企業にとっては、国内では得られない新たな事業機会を開拓し、それを世界展開に繋げる可能性をもつ格好の場といえます。
一方で、現地での情報収集、スタートアップとの関係構築、規制や国際標準の理解など、実務的なハードルも少なくありません。これらを効率的に乗り越え、シンガポールの技術・市場ポテンシャルを最大限に活用するには、経験豊富なパートナーによる伴走が不可欠です。
弊社は、シンガポールをはじめとする東南アジアに、日本人常駐メンバーを含む30名以上のコンサルタントを配置し、現地ネットワークとスタートアップへのアクセス、大学・研究機関との連携支援、規制・標準の最新情報提供まで含め、企業の戦略的なシンガポール・東南アジア進出を包括的にサポートしています。
シンガポールでの事業開発に関するお問い合わせがございましたら、お気軽にこちらからご連絡ください。
著者について
細井武蔵
シンガポール拠点、事業開発マネジャー
東南アジアチーム、シンガポール拠点の一員として、東南アジア、インド、さらにAPAC地域にて支援を必要とする日本企業を対象とした事業開発を担当。
イントラリンク入社以前は、Dell Technologiesの東京オフィスに勤務した後、野村総合研究所のインド・グルガオン事務所にて、インド市場向けの調査、イノベーション、事業開発プロジェクトに従事。営業ならびに実行支援の両側面から日本企業や政府機関を支援した経験を持つ。
David Toh Teng Peow氏
シード段階から非上場・上場株式に至るまでの投資分野で豊富な経験を持ち、ディープテックの事業開発と商業化に深い知識と経験をもつ。
以前は、南洋理工大学(NTU)の完全子会社であるNTUitiveの責任者として、同大学の科学研究・技術の商業化とスタートアップのインキュベーションを担当していた。現在はシンガポール証券取引所(SGX)上場企業であるiFast Corpの独立取締役兼監査委員会委員長を務める。